以前にも少し触れましたが、日本は丁寧が行き過ぎて“バカ丁寧”なことが多くなってしまっていると思いませんか?
かなり遅ばせながら、先日新東名に乗ってきました!と言いたいところですが、両親と地味に藤枝の上下線のPAだけ行ってきました。

新しい建物に行くと必ず寄るのがトイレ。
もちろん用も足しますが、どちらかというとどんなトイレか色々な意味で勝手にチェックします。
で、このトイレ、私的にはあり得ない。
トイレが使用中か否かのランプがついたり、便座が温かいだけならまだしも、ウォシュレットまでついていて、そのボタンの部分が非常にわかりにくい説明に・・・

『丁寧』が行き過ぎて『過剰設計』その結果『お金の無駄遣い』になっていると思いませんか?
もちろん、このトイレのお陰で、生活に潤いが出た会社の従業員がいるのだと思います。経済的には悪いことではないかもしれない。お金が回らなければ、社会全体が潤っていかないと感じるこの頃。
ただ、「お金を使う」=「無駄遣い」ではないのです。
正直詳しくは知りませんが、この新東名の工事費はどこかの石油王が寄付してくれたとか、どこからか湧いて出てきたお金を使ったわけではないはずです。国民の納めた何らかの税金が投入されているのではないでしょうか?そうである以上は、そのお金を大切に使ってほしいです。
フランスで感じたことは、貴族階級の人などは別にして、いわゆる庶民は必要最低限のお金で節約して生活し、自分たちがここぞと思うところにお金をかけるのが非常に上手だと。
そんなことを考えると、何でもかんでも利便性を追究したり、新しものを取り入れたり、地域の特徴を出すためにちょっと変わったことをやってみたり・・・誰がそこまで求めているのかしら?と思ってしまわざるを得ません。
国民のお金であるならば、必要最低限の設計で、必要最低限の設備を整え、皆さんに快適に使っていただく。それで納得なのではないでしょうか?
私はウォシュレットは全く使わない派です。でも祖母の介護を手伝い始めて、必要性を感じることも出てきました。そう、必要性は感じるけれど、全てそれである必要はないのです。ウォシュレットがなくて困る人って、世の中にどのくらいいるのでしょう?30年ほど前はウォシュレットなんて公共のトイレにありましたっけ?無くて文句を言う人、いましたか?
ちょっとだけ考えればわかること・・・たくさんあると思います。
今回の上の写真について私がその場で率直に感じたのは、ボタンが多すぎて悩む。説明だらけで余計に混乱する。その2点です。
そこから色々な思いが噴出していったわけでして・・・ふーん。